1979年、私は中学校3年生。軟式野球部で捕手をしていた。打順は初め4番だったが6番になった。春の大会も夏の大会も区内で敗戦し県大会はおろか市内大会にも進むことが出来なかった。春は投手のOが延長の1死満塁で、なぜかセカンドのカバーに入った中堅のTに牽制暴投でサヨナラ負け。私は「投げるな」と叫んだ... 続きをみる
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小学校を卒業した私はkやOと一緒に、中学校の野球部に入部した。いくら小学校の時市内大会で準優勝したといっても、3年生の先輩はすごく大きくて、スピードもパワーもありレベルがちがうと思った。1年生はユニフォームも着ることができず、体操服で球拾いをするだけだった。3年生の先輩達は実は強いチームだった。... 続きをみる
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1976年1月4日より町内ソフトボールチームの練習は始まった。外野の補欠からキャッチャーになった私は、これからの10か月間、練習ばかりの日々を送る。学校から帰るとすぐにジャージに着替える、そして小学校の校庭に戻るとそこから日が暮れるまで練習が続く、春と秋は6時位には日が落ちるが、夏は7時半くらい... 続きをみる