阪神雪辱ならず 巨人V10ならず 1974年
前年の雪辱を期すであろうと思われた、1974年阪神はいいところなく4位に沈む。6月と7月首位に立って「やっぱり今年は阪神だ」とKやOたちと盛り上がっていたが巨人のV10を止めたのは阪神ではなく、昨年いいところで負けた中日だった。2位は巨人、3位ヤクルトにも抜かれる始末。頼みのエース江夏は12勝14敗と負け越したが、4番田淵がもう少しで本塁打王となる45本の本塁打を打つ、しかし王が貫録の49本塁打で三冠王、昨年友達のKとOと話した阪神黄金時代は来ることなく、巨人時代のみが終わった。
中日が優勝した秋、学校から家に戻ると母が「長嶋の引退式やってるよ」と言う。テレビを見ると例の「巨人軍は永久に不滅です」の言葉と涙して外野スタンドのファンに挨拶する長嶋の姿があった。今では外野スタンドまで行ってファンに手を振りながら歩くのは定番の引退式の形であるが、当時としては異例の行動であったように思う。引退式のセレモニーまでもスーパースター長嶋がとった行動が今の原型になっている事実は阪神ファンの私でも認めるところである。長嶋さんの阪神にさえ愛を感じる言動は、亡くなった星野さんに通じる(いや星野さんが長嶋さんに通じているのか)野球界全体を考え今後を発信できる貴重な人であると尊敬いている。しかし当時小学4年の長嶋の全盛期を知らない私にとって、長嶋の引退は特に何も感情が沸き立つこともなかった出来事であったが、西鉄黄金時代を知る西鉄ファンの母にとって、日本シリーズで稲尾と対戦したゴールデンルーキー長嶋の引退は、一つの時代が終わる感慨深いものであったようだ。
その夕食時、豊田、中西、高倉、稲尾そして近隣で福岡県生れの仰木の話を聞かされた。そんなことは祖父に買ってもらった「鉄腕物語」稲尾の本を読んで知ってるし、今は金田ロッテと稲尾太平洋の遺恨試合の時代だぜと思ったが、母が野球の話をするのは珍しいので黙って聞いていた。
「1番高木が塁に出て~」例の燃えよドラゴンズが福岡の小学校の教室で休み時間に歌われていた。それほど巨人以外のチームがセリーグ優勝するということは、ちょっとした事件であったように思う。クラスに中日ファンが一人誕生した。
朝の祖父との新聞争奪戦は相変わらずで、田淵のホームラン数の確認には余念が無かった。来年こそは田淵が本塁打王になり、新長嶋巨人を倒して優勝するのは阪神しかない、江夏も復活するし来年こそは間違いないと思っていた。
その年阪神の帽子を買ってもらった。当時学校で流行っていたので帽子の横に選手の背番号をスポーツ用品店で貼ってもらう。迷った挙句22ではなく28を貼ってもらった。確か、友達のOとKが22と6にした様な気がする。その帽子を被って三角ベースで遊んだ。しかしその翌年の年末には被ることをやめた。それくらい子供ながら残念で仕方ない江夏のトレードだったような気がする。今現在私の中での歴代阪神選手の№1は江夏である。今ネットで江夏のノーヒットノーランとサヨナラ本塁打の試合を見ることが出来る。一番驚いたのは、プレーではなく観客の少なさ。当時巨人戦でしか見たことのなかった甲子園は閑散としていた。阪神が巨人戦の後他球団によく負ける理由としてあげる選手が多かったことを実際に目の当たりして、「もっと頑張れあの頃の地元の阪神ファン」と思ったが今は大阪に住んでいるがチケットが取れない状況である。
ちなみに私の歴代阪神在籍選手で思い入れが強いのは
1江夏 2田淵 3掛布 4真弓 5今岡 6井川 7新庄 8鳥谷 9池田親
江夏田淵の黄金バッテリーは最初に阪神ファンになったきっかけであり絶対的な私のヒーローであった。その後を継いだ1980年代の阪神の誇り掛布。地元福岡出身で生え抜きであれば掛布よりも好きだったかもしれない真弓。暗黒時代東京ドームでの2打席連続ホームランを見てこの選手が3番を打つようになり首位打者のタイトルでも取れば阪神は強くなれると思わせてくれた今岡。その少しあと暗黒時代の最後に出てきてエースとして成長していく段階を甲子園で見ることが出来た井川。あの暗黒時代真っただ中唯一の阪神希望の星であったし同じ福岡出身の新庄。寡黙に怪我をしていても毎日試合に出て金本、今岡の後の時代を支えている鳥谷。先発ピッチャー不在の時代に若きエースとして日本シリーズで完封した池田親の順番かなと思う。
巨人のV9が終わり長嶋引退で巨人は一つの時代を終えたが、阪神もまた黄金バッテリー江夏田淵の時代が終わろうとしていたのが、ピークの1973年からすぐ翌年の1974年だったことが阪神のその後の低迷の大きな理由であると思う。1974年江夏26歳、田淵28歳である。2人が一緒に1985年の優勝の直前まで阪神を背負って欲しかった。う~んしかし田淵がトレードされず真弓が阪神に来ていなかったら1985年の優勝はない?それとももっと以前に優勝していた?悩むところである。
1973年の優勝を逃した時の江夏の回想「優勝はしてくれるな給料を上げなくてはならないから。巨人と優勝を争って2位に終わるのが1番いい」と球団首脳が言ったとか。真偽は知らないがそれがもとで江夏のやる気が薄れトレードされたのならとてもやるせない気持ちになる。
1974年開幕スタメン
1番ライト テーラー
2番レフト 望月
3番ショート 藤田
4番キャッチャー田淵
5番ファースト 遠井
6番センター 池田
7番サード 後藤
8番セカンド 野田
9番ピッチャー 江夏
ベストナイン
田淵 捕手 3年連続3度目
藤田 遊撃手 2年連続6度目
ダイアモンドグラブ
田淵 捕手 2年連続2度目
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。